『怒るな働け』について

嘉悦孝の著作

本学の創立者である嘉悦孝(1867-1949)は、「日本最初の女子商業学校の創立者」としてよく知られているが、明治・大正・昭和の60年近くにわたる多彩な教育活動と学校経営・社会奉仕活動のかたわら20点以上の著作と『婦人世界』、『婦女新聞』、『女人世界』などの雑誌に約220篇に及ぶ数多くの論説を残している。しかし、遺憾なことに現在ではその多くは散逸しており、一般には容易に参照できないのが現状である。嘉悦学園ではこのことを惜しみ、嘉悦孝の業績を広く世に伝え、後世に残すことを目的として1986年には『家政講話』(1916)、『女の務むべき道』(1917)、『家庭生活の改造』(1919)、『私の進言』(1937)の主著4点を復刻・出版している。

今回の『怒るな働け』のデジタル化によるインターネット上での公開はこの計画の再開であり、本学では上記の4点を含む嘉悦孝のその他の著作についても今後順次デジタル化とその公開を行って行く予定である。

校訓でもある『怒るな働け』

1915年(大正4年)に東京の洛陽堂から出版された本書は、その後5年間に16版と版を重ね、1928年(昭和3年)には出版元を新世堂に変えて再刊されるほど数多く発行された嘉悦孝の中期の代表的著作で、孝の教育者としての生涯の標語・結論であるとともに本学の校訓でもある「怒るな働け」をその題名としている。

概要

総論にあたる第1章「身の安心と心の安心」では、管子の「衣食足りて礼節を知り、倉稟満ちて栄辱を知る」という言葉をひいて、衣食住の「身の安心」をもたらすものが経済であり、「心の安心」をもたらすものが道徳であると説明し、さらにこの言葉から明らかなように両者には密接な関係があり、「真の道徳は真の経済と合致するものである」(p.10)と述べて、「健全なる経済ある人の家庭国家でなくては、健全なる精神ある人の家庭国家を保って行くことは出来ません」とし、そのための商業教育の重要性を説いている。

さらに、第12章「経済上から見たる男と女」にでは、家庭における経済上の男女の役割について、男性は「働いてお金を儲ける役」で生産に関わるとし、女性はその「お金を遣う役」で消費に関わるとして、女性がこの役割を上手に果たすためには、予算を立てた生活をすること、そのための家計簿の重要性(第10章、第15章、第27章)を繰り返し述べて、女性に対する商業教育の必要性を説いている。

これらの章をとりまく各章では、日常生活の具体的側面において健全な家庭をいかに実現して行くかを、台所道具の選び方(第9章)から始まって、台所の掃除と整理の仕方(第24章)、食材を選ぶ際の心構え(第20章)、寝具にはどのようなものが望ましいか(第28章)などにいたるまで事細かにわかりやすく説明するとともに、理想的結婚生活とは何か(第6章、第17章、第33章)、社会的交際の仕方(第24章、第34章)、保険の重要性(第35章)などについても述べている。

そして、これらの様々な話題の中で共通するのは、浪費・奢侈・虚栄への厳しい戒めと勤労・倹約の必要性(第5章、第14章)、良妻賢母であることの重要性(第2章、第4章、第11章、第16章、第25章)であり、その背後に一貫する明治の女性の国家への強い関心とその愛国心の発露にはまことに心を打たれるものがある。

第36章では、「私しの娘時代の回顧」と題して、自身の幼年期の思い出から19歳にいたってようやく本格的勉学を許され、その後1903年(明治36年)に私立女子商業学校を設立するまでの経過が手短に述べられて、最終章となっている。

以上、本書の内容を極めて簡単に概観したが、日本経済の現状に思いをはせるとき、本書を熟読・玩味して、すでに引用した嘉悦孝の言葉「真の道徳は真の経済と合致するもである」を想起することは、今後の我々の責務であると信ずる次第である。